今、ヨーロッパは世界は僕の周りは
この前は、マンチェスター。
そして、つい先日ロンドンと…。
自分が知っている・行ったことのある街や店、そんな場所やその近くで実際にテロが起こる。
もしかしたら、その時に居たかもしれない。
そんな人だっているはず。
今こうして生きていることに、意味だとか何だとか分からないけれど、せめて精一杯毎日生きてゆきたいと思うこの日々。
本当の関わりは分からないけれど、イスラム系組織が声明を発してはいる。
けれど、これでイスラム教や信者を否定するような動きは、第二次大戦中のナチスドイツの動きと同じになってしまう。
ポーランド人の同僚がいるだけでなく、ブログに書いてはいないけれど、ポーランドへ旅行に行き、アウシュビッツにも行ってきました。
知らなかった事が本当に本当に多いと、その時感じたし、今でも毎日感じてます。
今でもヨーロッパでは、例えばコントやパロディなどで、ポーランド人をおちょくる(俗に言う、ジョーク)番組や動画があります。
(昔、社会主義でもあり、ネタとして豊富でもあったのだろう。)
第二次大戦中、ナチスドイツはポーランド人に対し、ネガティヴキャンペーンを大々的に行い、その名残が今も出てくるのだ。
今、この状況でイスラム教や信者の人たち、そんな人たちが多く住む国に対し、何か否定的なことをするのは間違っていると、僕は思うのだ。
もちろん、テロは起こってほしくないし、テロには断固反対します。
けれど、文化や信仰の違いというだけで、善良な市民をも否定することだけは、避けたい。
例えば、ここ一年の大統領選挙や国民投票などで、brexitや極右に加えて、反グローバリズムや移民問題。
国や政府の方針は方針として一旦置きまして、一市民として思うことは自分だけ良ければそれで良いのだろうか?
選挙の結果や、国や政府の方針として国民を大事にするその動きは真っ当だと思う。
けれど、その上で僕も自分のことを第一に考えるが、相手のこともまた尊重してゆきたい。
僕らが戦うべき相手は、利己主義なのではないか?と思うのだ。
イギリスにいる今、ここで出来ることは、とにかく感じ取ることだと思う。
ワーホリに来たから、明確なビジョンを見つけ、大幅に成長した訳ではない。けれど、ここで得た感覚は日本に戻った時に、きっと僕を支えてくれる気がするのだ。
文章にすることは本当に簡単だけれど、そんな基本的なことを大事にして生きてゆきたいと思う。
隣の芝生なんて知らない。
こちらに来る前に、友人からオススメを受けFacebookのアカウントを作りました。
そこで、本当にびっくりするのがヨーロピアン達はもちろんのこと、皆々自撮り率の高さかな。
プロフィール写真もそうだし、アタシタチ素敵でしょ〜的な写真やら、一人旅してる男性ですらバックパックに自撮り棒があるし…。
思う所としては、自分の性格云々もあるのだろう…(あまのじゃくな上に、貝の殻に入ってるような素を出せない自分)
所詮同僚はビジネスパートナー・お金の繋がりだから大して興味が湧かない・薄い関係性や、たまたま知り合った・繋がった人、ということもある。
気が合う最高な同僚もいるが、堂々とタイムラインに流れる自撮りやら、いいねしたショートムービーをシェアされても…ってところ。
眠いというコメントと共に、ベッドで寝そべった自撮り写真は理解出来なかった。
ただ、こんな書き方をしているが、本当は羨ましいと言うか、周りを気にしないその強さ、自らをアピールするその力強さ、貰えるなら欲しいくらいだ。
そもそも、今日の調子はどう?って聞かれて、俺は・私は完璧と、答えられるその強さはどうやって手に入れたのだ。
(もはや、口癖なんじゃないかと思う。)
(1人で勝手にビザ取って・仕事辞めて、渡航した人間の言葉と相反して)
本当の自分は、自信が無くて勇気を出すことが恥ずかしいし、頭で考えてばかりでなかなか動けない。
日本にいた時は、人の人生を羨むことが多かったと思うし、なかなか自分の思うことを今よりももっともっと言えなかった。
今でも、人と自分を時々比べる時はあるけれど、日本にいた時よりも少しはマシになったのかもしれない。
(これを成長と言えるなら、そうしたい。)
子供じゃない今だから言えることが、隣の芝生は青いのだ。
そして、その本当の意味がようやく分かる。
家の庭の話だけではなくて、相手や周りの人生について言える言葉だなんて子供の頃は分からなかった。
住まいや暮らしぶり、勤務先に加えて社内の立ち位置、結婚出産子育てと私生活について、なんなら誰かの旅先の写真一枚で…。
僕の頭が勝手に何かを想像させるのだ…。
(そんな時、人間に生まれて嫌だと思う。)
それでも、生きてゆかなければならない。
SNSやインターネットに流れる情報が本当だとは限らない。これは、対人関係でもそう。
誰かが言うことが本物の情報であるとは限らないのだ。
自分で確かめる、自分で選ぶ。
嫌われたっていい、いつか死ぬのだし。
目の前の仕事を頑張りつつ、そんな自分の目で見た物、感じたことを頼りにまた進もうと思います。
昨日、スーパーに行って見つけてしまった。
手前のパン、絶対にかじられたと思う(笑)
24時間営業スーパーの、深夜あるある。
客層というか、文化が出るわなー。
自動改札を導入
日本では、スイカ、パスモ、イコカ…
ロンドンのオイスターカード…など、鉄道事業者や担当地域・エリアごとに、そして他の国々でもICカード乗車券が導入されていて、一度使ってしまうと本当に便利で手放せない。
僕が住む街から電車で30分に大きな駅がありまして、自動改札が導入された。
すごいのが、①切符を挿入出来るだけでなく…
乗車券をアプリで買う人に向けて、(飛行機のオンラインチェックインみたく…)
②QRコード読み取り機能も付いている。
③地域限定ICカード読み取り機能付き。
と、機能盛り沢山。さすが、鉄道大国イギリスなのだ!
僕はもっぱら、アプリで安い時を狙って電車のチケットを買うから、これは楽で助かる!
https://www.thetrainline.com/mobile/app/
イギリスの切符は、特に他の交通事業者エリアへと跨って切符を買う場合、値段が飛行機みたく変わるのだ。
(線路は続くよどこまでもー♫な、もんで事業者って改めて意識しないと分からないんだけど…)
例えると、関東地区を担当する会社、関西地区を担当する会社、両地区を結ぶ列車を運行する会社が分かれていて…
・地区内の切符は事前予約でも当日でもほとんど値段が変わらない傾向にあると思う。
・特に、両地区を結ぶ会社の切符は、まるで飛行機の値段。基本乗車直前購入はバカ高い、でもラッキーな時もある。
(もち、マイル・ポイント貯まりまへん。)
と、とにかく自動改札導入により人員削減が生じた。
今までは、駅の改札で切符を見る駅係員さんに加えて、駅を通過するごとに車内で検札をしていた。
それがなくなった。もしくは激減した。
導入当初の混乱に備えて係員さんらが、増員していたんだけど、減りましたし。
車内での検札も減りました。
言ってしまえば完全なゲートですからね…。
ただ、これによって時間がないから、車内で買いたい!!が難しくなる。
(つまりだ、日本とおんなじ!ってこと。)
ただ少なくとも、券売機を設置していない駅もあるから、検札はすると思う。(車掌さんとのタイミングの問題かな?)
僕の地元、確か…15年くらい前まで、駅が再開発をする前まで、沿線で上位の乗降客数の多い駅の乗り換え改札に、切符切りのおじさんがいたことを覚えている。
サービスなんて言葉、本当にこの10年くらい…
子供の僕には、鉄道関係であればなんでも親しみを持っていたけれど、おっちゃんの真剣な表情が怖かった、でもカッコよかった。
どんな切符も一瞬で見分けてたなー。
そして、再開発完了と同時に自動改札の導入。
その後、パスネットが導入されて…
いよいよ、スイカ・パスモの本格導入。
昔は券売機の数って本当に多かった気がするけど、なんなら改札機も減った気がする。
今回の自動改札導入で、懐かしいことを思い出しつつ…
機械が実際に仕事を奪う、その瞬間を目の当たりにして、正直凹んだ。
英語が今よりもっと話せなかった頃、アプリで切符を買うのは楽な上に、コミュニケーションを取らないこともあって選んでた。
けど、日本に帰る日が近付くからか、日に日にイギリス好きの気持ちが高まるのか…
さらに、地元の駅までも改札の準備工事がほぼ完了すると、先進国とは思えない頑なな伝統やアナログから刻々と進化するイギリスに少し寂しさを感じるのだ。
成人とは
4月に入って、成人について書く。
季節外れもいいところ、全くだ。
ずっと、心に引っかかっていたのが、年明けすぐにネットニュースで見たLGBTの成人式。
ありのままの自分で、成りたい人への一歩を踏み出す。そんな式典。
でもずっと思っていたのが、それってLGBTの人たちだけに当てはまることなのだろうか。
今の日本社会がどうかとか別にして、僕の胸にはスーと入ってきた。
昔っから、スポーツ選手だとか〇〇屋さん、そんなキラキラした夢なんてなかった。
(医者、と小学生の文集に書いたけど、それは嘘、世間体や見栄えを気にしてたのは、既にその頃から…苦笑)
だって先生も親も喜ぶじゃん!
そんなことより、虫取り・秘密基地を作る・野草を摘む・野良猫追いかける、テレビゲームより生き物の世界が好きだったし、今も好き。
首都圏出身だけど、自然に恵まれてました。
小学生の時、じいちゃんが若い時夫婦共々、仕事でアメリカに長期滞在してた話を聞いて、僕も海外に行けたらいいなーって、漠然と思ったことがきっかけかな…。
中学校のクラスメイトのお母さんがカナダ出身で、親子の流暢な英語の会話に憧れて憧れて…
その時、海外で生活してみたいなー、と思った。
そして、そのクラスメイトが卒業後にカナダの高校へ入学することが、島国感覚な自分には衝撃的だった。
高校の修学旅行、本当はカナダコースが良かったけど、仲良い友人が参加するってだけで、あんまし考えず北海道コースを選んだ。
(函館・五稜郭の桜は最高だったけどね。)
チャンスがあるなら、やってみろ!!
今なら、そう言えるかな?
大学では、オリンピック開催地に行きたかったけど、金欠を言い訳にして海外旅行すら行かず終い。
幸いにして、研究室のメンバーで留学生が多くて、英語の刺激を改めて受けた。
そして、ワーホリや青年海外協力隊・イスラエルのキブツだとか、今思えば調べ始めてたのはこの頃から。
仕事を始めても、やっぱり自分は仕事を辞めるって分かってた。この仕事続けても先が見えないって薄々感づいてたから。
そして、気付いたらワーホリが夢になってた。
けど、日本の社会どの会社の転職情報を見ても、少なくとも3年間の社会人経験っていう謎の枠組みで…今思えばよく頑張った。
そして、イギリスの抽選式のビザを取るも、なかなか仕事を辞められず…しかも精神科へ通うっていう情けない所もありつつ…
派遣とかしてお金を稼ぎつつ…
渡英
ブログって誰かのために書くって言うより、自分の心を整理するために書くのかな。
なかなか、ありのままの自分で居続けることは難しいけれど、成りたい自分になれてる気はする。
この先の人生、何が起こるかは分からない。
でも、逞しく生き抜いて最後に笑おう。
振り返った時、良い選択をしたと思えるよう。
成りたい人、ありたい姿、理想の自分、
現実は厳しい時もあるけど、ゆるくがんばる。
僕にとって成人とは、現実とのバランスを取りながらも、夢を叶え続ける人のこと。
常にスタートライン
外国にいると…
日本の代表として見られる、とか言いますが…
そうとも言えるし、そうでないとも言える。
あくまで、そう感じてしまっているだけであって、 何よりあなたの意見は何?が重要なのだなと。
そして、逆も然り。
ふと出会った、とある国の出身の人間の印象で、そのとある国のイメージが180°変わることだってある。
旅先だけでなく、日常のちょっとした出会いでその国に好印象を持つことだってあるのだ。
たまたま、バスに乗って出かけた時に、ふと話しかけてきたのが、同じ町に住んでる19歳のイギリス人。
今年の秋に日本に留学するのだとさ。
向こうは勇気を出して話しかけたのかもしれないけれど、僕だったら絶対不可能に近いことを軽くやってのけたのだ。
しかも、メッセンジャーにポンポン近況を送ってくる。そのフットワークの軽さ、今の僕に必要なことだと切に感じた。
しかも、日本語がうまい。
僕は、こちらに来て語学学校を5日で辞めサボっていた…な、だけに今の力は本当に低い。
そんな自分に英語頑張ろ、と今更ながらスイッチを入れてくれた存在なのだ。
ありがとー。
ラーメン屋でお茶しよう。
朝から昼まで曇り、夕方から雨、雨は小雨、夜は寒いし風も吹く。
そんな毎日ですが、外国人の自分にはそれがイギリス、楽しいものです。
イギリス来てから、初めてラーメン屋さんに行きました。
お昼過ぎ、人が集まる駅前の大きな大きなショッピングモール、一階の食べ物屋さんが集まる中、一件ラーメン屋がありました。
カウンターテーブルなんだけど、調理は仕切りの奥のスペース。カウンターは飲み物を出すためのようなもの。
オーダーを取ってくれた女性は、日本語を話しつつ…メニューも日英表記、とんこつラーメン、食べるラー油ラーメン、餃子、替玉、日本酒、ビール…
僕のとんこつラーメン、スープは薄めだけど美味しかった。本当にスープを飲んでる様な飲みやすさ。
ただ、それより何より、メニューにシャンパンや白ワイン、カクテルが載っていること。
箸を使って普通に食べてること。
昼過ぎだから?か…先客のお姉様方が、急須に湯のみでお茶をしていること。
そしてそして、日本のラーメン屋のセカセカしたような感じではなく、あくまで普通のご飯屋さんカテゴリのひとつみたく、食事としてゆっくり楽しんでいること。
おいおい!!麺伸びちゃうぜー、と言うより
食べつつさ、お茶しましょ♬♬
の様な、ゆる〜い感じ。
日本のやり方がいい時もあるだろう、美しさや細部までのこだわり、気遣いやホスピタリティの様なこと。
でも、食文化の違いはなかなか埋められない。
味付けだけじゃなくて、食べ方や食の楽しみ方までお客さんに強要しては、日本食の未来は狭まってしまうのではないか。
正直、イギリスのスーパーの日本食や、英国会社チェーンのレストラン、単なるヘルシー志向の日本食は、日本で食べる食事とは少し違う気がする…。
でも、日本へ触れるきっかけとか、小麦とか肉NGで明日の命に繋がっていることもある訳だし、まだまだ日本食の伸び代って広く大きいのではないかと。
お皿に垂らしたお醤油の香りで、途端に日本へ帰ったような気になりました。
まるでミラクルフルーツ、ミラクルドロップだなーと。